私は「佐藤二朗」という俳優に、ある種の安心感を抱いていた。 独特のボソボソ喋り、予測不能なアドリブ、そしてバラエティ番組で見せる愛すべき人柄。彼が出てくるだけで、画面の空気が緩む。そんな「面白いおじさん」としてのイメージだ。
しかし、映画『爆弾』のスクリーンに映る彼は、その安心感を冒頭から粉々に打ち砕く。
彼が演じるのは、正体不明の男・スズキタゴサク。 取調室という逃げ場のない密室で、言葉巧みに刑事たちを操り、東京中を爆破テロの恐怖に陥れる役どころだ。
本作における佐藤二朗の演技は、単なる「悪役」という言葉では片付けられない、底知れない凄みに満ちている。
1. 「笑い」を封印した時の、不気味な静寂
彼の最大の武器である「あのお馴染みの喋り方」。 コメディ作品では笑いを誘うその独特の間(ま)が、本作では**「何を考えているか全く読めない不気味さ」**へと反転している。
大声を張り上げるわけでもない。派手なアクションをするわけでもない。 ただ椅子に座り、ボソボソと、しかし的確に人間の急所を突く言葉を吐き続ける。 その姿は、「面白いおじさん」の仮面を脱いだ瞬間に現れた、感情を持たない怪物のようだった。
「笑わない佐藤二朗」がこれほどまでに怖いとは。私は、彼のコメディアンとしての顔に、いつの間にか油断させられていたのだと思い知らされる。
2. 「凡人」の顔をした悪意
映画に登場するヴィラン(悪役)といえば、冷酷な天才や、屈強な男をイメージしがちだ。 しかし、スズキタゴサクは違う。どこにでもいそうな、くたびれた中年男性の見た目をしている。
これが、この映画の恐怖の本質だ。 「悪魔」は、恐ろしい顔をしてやってくるのではない。満員電車で隣に座っているような、あるいは鏡に映る自分のような、「普通の人間」の顔をしてそこにいるのだ。
佐藤二朗という役者が持つ圧倒的な「庶民性」が、ここでは「悪意のリアリティ」として機能している。だからこそ観客は、「これは映画の中だけの話だ」と距離を置くことができず、じわじわと侵食されるような居心地の悪さを感じるのだろう。
3. 「怪優」の真骨頂を目撃せよ
本作は、爆破予告を巡るノンストップ・ミステリーでありながら、同時に**「佐藤二朗 vs 刑事たち(そして観客)」の心理戦**でもある。
取調室という狭い空間で見せる、彼の視線の動き、口元の歪み、息遣い。 そのすべてが計算された狂気であり、観る者を挑発してくる。
もしあなたが彼を「コメディの人」だと思っているなら、ぜひこの映画を観てほしい。 そこには、笑いを一切排除し、人間の業(ごう)を剥き出しにした、日本屈指の「怪優」の姿があるはずだ。
(了)
筆者: 灯屋新聞編集部 論説委員 橋野しおり


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