プロ野球界に、静かだが確かな熱を帯びたニュースが届いた。
桑田真澄氏が、オイシックスの総合ディレクターに就任したという。
この人事を、単なる「元スター選手の起用」と見るのは浅い。
むしろこれは、
オイシックスがどんな球団を目指しているのかを、はっきり示した宣言と受け取るべきだろう。
■桑田真澄という存在
桑田真澄は、勝利至上主義の象徴ではない。
ましてや、派手なカリスマでもない。
彼が長年語ってきたのは、
技術、身体、考え方、そして人としての在り方だ。
野球を「結果」だけで測らず、
積み重ねと準備の学問として捉えてきた人物である。
だからこそ、
「教える」「育てる」「支える」という役割に、
これ以上ないほど適した存在でもある。
■総合ディレクターという肩書の意味
注目すべきは、
監督やコーチではなく「総合ディレクター」という立場での就任だ。
それは、
目先の勝敗だけを見る役職ではない。
育成、組織、地域との関係性、
そして球団がどんな思想で存在するのかを形にする役割である。
桑田真澄をその位置に据えたという事実は、
オイシックスが短期的な話題づくりではなく、長期的な土台づくりを選んだ証だ。
■地域密着は「熱量の受け皿」があってこそ
ここで、あくまで私見だが、
こうした球団の在り方を最も熱く受け止める土地は、
四国・松山ではないかと思っている。
野球文化が根づき、
高校野球への思いも深い。
大都市のような匿名性はなく、
選手の成長も失敗も、街全体で見守る空気がある。
もし松山に、
オイシックスのように「時間をかけて育つ球団」があったなら、
それはきっと、勝敗以上の盛り上がりを生むだろう。
地域にとって球団とは、
娯楽である前に、誇りと物語の装置なのだから。
■強さとは、時間をかける覚悟のこと
オイシックスは、
一気に強くなる道を選ばなかった。
地味で、時間がかかり、
だが確実な道を選んでいる。
桑田真澄の就任は、
その覚悟を外に向けて示した一手だ。
勝利は、いずれ結果として現れる。
だがそれ以上に、
「この球団を応援してきてよかった」と
地域の人が思えるかどうか。
そこに、本当の強さがある。
■灯屋新聞は、こう見る
この人事は、成功するかどうかよりも前に、
姿勢として、すでに評価されるべきものだ。
桑田真澄という人間を、
最もふさわしい場所に置いた。
それだけで、オイシックスが
「どんな野球をしたいのか」は十分に伝わってくる。
地域に根を下ろし、
時間を味方につける球団。
そして、いつか別の土地にも、
同じ思想のチームが生まれることを願いたい。
筆者;灯屋新聞編集部 橋野しおり


コメント