忠義は、美談として消費されてきた。
赤穂浪士四十七士の討ち入りもまた、時代ごとに都合のよい解釈を与えられ、
英雄譚として磨き上げられてきた物語の一つである。
だが12月14日、義士祭という節目の日に、
私たちは一度その光沢を拭い去り、史実に近い姿を見つめ直す必要がある。
その中心人物、大石内蔵助は、
本当に「昼行灯」だったのか。
あるいは、すべてを読み切った先読みの達人だったのか。
■「昼行灯」は演技だったのか
討ち入りまでの約一年間、大石は遊興に身を置き、
祇園で放蕩する姿をあえて人目にさらしていたとされる。
このため彼は「昼行灯」と揶揄された。
近年では、こうした行動は幕府や吉良方の警戒を解くための
意図的な振る舞いだったという見方が有力である。
しかし同時に、それを「すべて計算通りだった」と断じるのも危うい。
後世が作り上げた英雄像が、彼の迷いを消してしまっている可能性もあるからだ。
史料を丹念に追えば、大石は常に揺れ、逡巡していた人物だった。
■先読みの達人、それとも優柔不断だったのか
浪士の中には、
「即刻、討ち入るべきだ」と主張する者も少なくなかった。
その声を抑え、一年という時間を選んだのは大石である。
この判断は、
忍耐強い名リーダーの象徴として語られてきた。
だが見方を変えれば、
それは決断を先延ばしにした結果とも言える。
成功すれば英断、失敗すれば優柔不断。
大石の選択は、常にその紙一重の上にあった。
■意外と「臆病」だった可能性
大石内蔵助は、
勇猛果敢な武士というよりも、
むしろ現実を過剰なほどに見据える慎重な人物だったのではないか。
・同志の離脱を想定していた
・全員が討ち入りできるとは考えていなかった
・自らの死後、残される家族の行く末を案じていた
これらは、
恐れを知らぬ英雄ではなく、
恐れを知ったうえで踏み出した人間の姿を浮かび上がらせる。
■だからこそ、現代に通じる
現代社会においても、
声高に正義を叫ぶより、
黙って耐え、準備し、空気を読む人間のほうが圧倒的に多い。
大石内蔵助は、
迷わず突き進むカリスマではなかった。
失敗の可能性を知り、怖れを抱き、
それでも「選んでしまった道」から降りなかった人物である。
義士祭が今なお語り継がれる理由は、
そこに完全無欠の英雄ではなく、弱さを抱えた意思決定者がいるからではないだろうか。
■義士祭は、覚悟の記念日である
義士祭とは、忠義を讃える日であると同時に、
「選んだ責任を引き受けた人間」を思い起こす日でもある。
正解が見えない中で、
恐れながらも決断した者たち。
大石内蔵助は、その象徴だった。
英雄だったかどうかは、今も評価が分かれる。
だが一つ確かなのは、
彼が私たちと同じように迷い、悩み、それでも選んだという事実だ。
あなたは今、何を先延ばしにしているだろうか。
そして、その選択の重さを引き受ける覚悟はあるだろうか。
義士祭は、過去の出来事ではない。
今を生きる私たち一人ひとりへの、静かな問いかけなのである。
筆者;灯屋新聞編集部 橋野しおり


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