「静かな人」ほどうまくいく――。 先日、あるニュース記事の見出しを目にして、私は深く頷いた。 そこには、騒がしい外交的な成功像よりも、内向的な静寂こそが集中力を生み、成果につながると書かれていた。
今の私なら、この意味が痛いほど分かる。 しかし、もし昔の私がこれを読んでいたら、「何を弱気なことを」と鼻で笑っていたかもしれない。
今回は、かつて「騒がしさ」こそが強さだと信じていた私が、病を経て「静寂」というステータスを手に入れるまでの話をしたい。
- 「正義の味方」は、いつだって大声だった
私の半生は、いわば「動」の歴史だった。 幼い頃からの教えはシンプルだ。「元気であれ」「ハキハキと大声を出せ」。 それが社会で生き残るための、唯一の正解だと信じ込まされてきた。
私はその教えを忠実に守った。 目立つことは優位に立つこと。アグレッシブであることは、優秀であること。 私は「正義の味方」のように振る舞い、弱い者を守るためには声を荒らげ、主張を通すことも厭わなかった。 常に戦闘モード。静かにしていることは、負けや停滞を意味していたのだ。
- 強制停止と、訪れた静寂
転機は、突然の病と共にやってきた。 強制的に「動けなくなった」私は、かつてのような大声を出すエネルギーも、誰かと争う気力も奪われた。
最初は焦った。武器を失った戦士のような気分だった。 しかし、その「物静かに過ごさざるを得ない日々」の中で、私は不思議な感覚を覚え始めた。
争わないことの心地よさ。 誰かに主張を通さなくても、世界は回っていくという事実。 それは、敗北感ではなく、今まで味わったことのない「平和」という名の快感だった。
- 「静かさ」は、新しいステータス
今、私は穏やかに暮らしている。 世間一般で言う「大成功」には、まだほど遠いかもしれない。 けれど、以前のように肩肘張って戦っていた頃よりも、今の自分の方がはるかに「うまく生きている」と感じるのだ。
「静寂」は、弱さではない。 自分の内側と深く向き合い、無駄なノイズを遮断できる、大人の贅沢なステータス(地位)なのだと気づいた。
朝、静かな部屋でコーヒーを淹れる。誰とも争わず、ただ思考を巡らせる。 かつての「正義の味方」だった私に教えてやりたい。 「剣を置いて、静かに座ってみろ。そこには、もっと広い世界が広がっているぞ」と。
(了)灯屋新聞編集部 橋野しおり


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