【余話】一本の大根に、冬の手仕事が宿る

コラム

佐賀県・吉野ヶ里町。
冬の畑で、大根農家のおばちゃんは、今日も一本一本、大根を引き抜く。

寒さで指先の感覚が薄れる中、
土を払った大根は、すぐに冷たい水で洗われる。
機械任せではない。
一本、また一本。
人の手で、確かめるように。

その水は冷たい。
だが、おばちゃんの手つきは乱れない。
それは作業というより、習慣であり、祈りに近い。


■「食べ物を粗末にせんごと」

おばちゃんは言う。
「大根はな、捨てるとこ、なかとよ」

葉は刻んで炒め物に。
皮は干して、漬物に。
身は煮て、焼いて、すりおろして。
一本の大根は、余すところなく食卓へ向かう。

そこに「エコ」や「サステナブル」という言葉は出てこない。
あるのは、ただ
手をかけてもらったものに、手を返すという感覚だけだ。


■皮だけで作った、豚汁

今回、私はその言葉を思い出しながら、
大根の皮を捨てずに取っておいた。

千切りにした皮と、豚バラ肉だけ。
具材はそれだけで、豚汁を作った。
だしも余計なことはしない。
鍋に入れて、火にかける。

出来上がった豚汁は、
驚くほど滋味深く、体に染みた。

正直に言えば、
最高の出来だった。

皮だからこそ残る歯ごたえと、
大根の香り。
それを豚バラの脂が受け止める。

「捨てるところ」だと思っていた部分が、
一番、作り手の時間を背負っているのかもしれない。
そんなことを、椀を持ちながら思った。


■冷たい水の記憶

洗う水が冷たいのは、冬だからだけではない。
その冷たさを知っているからこそ、
食べる側は、無造作に扱ってはいけないのだと、
大根は静かに語っているようにも思える。

私たちは、
切り口が乾く前の野菜の重さを、
いつの間にか忘れてしまった。


■感謝は、言葉より所作に宿る

「いただきます」と言うことは簡単だ。
だが、本当の感謝は、
残さず食べること、活かし切ること、
そして無駄にしない所作の中にある。

吉野ヶ里町の畑で洗われた一本の大根は、
そうした当たり前を、
何も言わずに教えてくれる。


■食すことは、礼儀である

食べるという行為は、
単なる消費ではない。
誰かの冬の手仕事を、
自分の体に迎え入れることだ。

だからこそ、
一本の大根を、余すことなく使い切ることは、
作り手への感謝であり、
生きものへの礼儀でもある。

冷たい水にさらされた大根は、
今日もどこかの食卓で、
静かに役目を果たしている。

筆者;灯屋新聞編集部 橋野しおり

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