連載手記『母への詫び状 ~許されざる娘の告白~』

連載手記

母が亡くなる前、ホスピスにいた頃、私は一度だけ母に土下座をしたことがあった。 それでも、まだまだ詫び足りないと感じる今の私がいる。

私は幼少の頃から両親の恐怖の下で育った。 「躾(しつけ)」という名の体罰。瓶で頭を殴られたり、100回叩かれたり、その痛みと恐怖は今でも忘れられない。 母は父に命じて私を山へ捨てさせたこともあった。山に置き去りにされた時、怖くて足がすくんだ感覚は、今でも鮮明に蘇る。あの時、逃げていたらよかったのかと思うことさえあった。

そんな恐怖の記憶が消えない相手なのに、なぜだろう。母へ詫びなければいけないことが、まだまだ山ほどあると感じてしまう。

「謝る」とは、許しを請う行為だと誰かが言った。 しかし私は、母に許してもらえるとは微塵も思っていない。許されないと分かっていても、ただ一心に謝りたい。その思いだけが、年々膨らんでいく。

お母さん、ごめん。 お母さん、本当にごめん。

あの日、とても天気が良かったのを覚えている。 それなのに私は、看護師長と話して、お母さんをホスピスへ入院させることにしてしまった。

その前年、お母さんが電話で「もう私の体が良くないけん、おねえ(私)、こっちに帰ってきてくれんね」と頼んでくれたことが、私は嬉しかったのだ。 親不孝で頼りにならない娘なのに、最期に私を頼ってくれたことが。 私は嬉しさのあまり、後先考えずに神奈川からUターンすることを決めた。

けれど、現実は想像を絶していた。 末期の母は味覚が正常ではなくなっていた。「こんなん食べられるかえ」と、私が作る食事を投げたりひっくり返したりする日々。私はその味覚異常に気づいてあげられず、食べ物を投げ捨てる母を、ただ黙って見ることしかできなかった。

「何のためにUターンしてきたのか」。涙が止まらなくなる日が続き、私の心が限界を迎えた。そうして逃げるように、入院を決めたのだった。

入院当日、病院へ向かう車の中でのことだった。 母がふと窓の外を見ながら言った。

「おねえ、もう髪切りにも行かれんかもしれんけ、病院行く途中で美容院に寄っちくれんな」

その言葉を聞いた瞬間、私の身も心も凍りついた。 母は悟っていたのだ。この入院が、もう二度と日常には戻れない片道切符であることを。私はハンドルを握りながら、心の中で叫んだ。

ああ、私はなんてことをしてしまったんだ、と。

(続く)

筆者:灯屋新聞編集部 橋野しおり

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